我が輩は…である。

 我ガ輩ハUCLA JSAノ会長デアル。名前ハ、モウ有リ、米山淳ト云ウ。別に今さら会員の皆さんにまたしつこく自己紹介をしようというわけではない。ただ、今回は、この私の名前、「米山淳」というのにまつわる話について書きたいと思っている。この「米山淳」という名前はそうありふれた名前でもないが、特別に人が驚くほど、とても珍しい名前というわけではない。ただ、私の名字である「米山」と同じ名字の“他人”には実際にはまだ会ったことはない(もちろん自分の親、兄弟、親類には会ったことはある。)。先日、JSAの会員の一人である◆□■▼☆★さんのお母様にお会いした際に、「私も米山でしたの。」とおっしゃられた。しいて言えば、それが最初の「米山」さんという“他人”との出会いかもしれない。しかし、もしかすると、私とその◆□■▼☆★さんとは“異父母”兄弟かもしれないと心の中では深く信じている。

 それはさておき、アメリカに来て、自己紹介をすることが多くなり、“My name is Jun Yoneyama.”というフレーズをよく使う。そう私の名前は「よねやまじゅん」と読む。「淳」という字はその他にも「あつし」、「すなお」、「きよし」、「まこと」などと読むこともある。病院や何かで自分の名前を呼ばれる時にこれらのうちのいくつかで呼ばれた経験がある。別に「じゅん」という読み方もそれほど珍しくはない。“Jun”という名前は英語の名前のように思う外国人(中国人や韓国人などのアメリカ人以外の人たち)もいるようで、よく彼等から「おまえの本当の“日本語”の名前は何だ。」と聞かれることがあるが、少なくともそれはアメリカ英語の名前ではない。したがって、この“Jun”という名前はよく、“Jim”だとか、“Jon”だとかと間違われる。電話などでメッセージを残す時にも、友人のルームメイトが日本人でない時には自分の名前がいつの間にか“Jim”とか“Jon”になってメッセージに残っていることもしばしばある。また、何かの用紙に自分の名前をローマ字で書く場合、“Jun”というのを一文字一文字きちんと丁寧に書かなければ、“un”を“im”か“on”と読み違えられるか、これも“Jim”もしくは“Jon”と読まれる場合がある。また、実際には人が思うより“Jun”という名前は外国人には発音しやすくはない。「吾右衛門」とか、「田吾作」とかいう日本人名よりは外国人にも発音しやすいとは思うが、それでもまだ、きちんと発音できないアメリカ人も少なくはない。子供の頃、自分の父親にどうして「淳」という名前をつけたのかと聞いたことがある。その時、彼は「おまえが大きくなった時には日本も国際化が進み、おまえも外国に行く機会があるだろう。その時に外国の人にも発音しやすい名前だと思って付けた。」と答えていた。実際に、こうしてアメリカに来て、外国の人たちと生活を共にしているとやっぱり彼の推測は正確だとしみじみ感じさせられた。何はともあれ、それほど多くはないが“Jun”を“John”または“Jon”に近く発音する人もいる。そのような人には“Jun”は“June”に近い発音をするのだと説明する。そうすると彼等の発音も何とか“Jun”に近くなる。“June”という英語の女性の名前もあるようだが、実際にはあまり多くは聞かない。因みに、“April”、“May”という名前もあるようだ。

 それでも英語ではそう問題もない。しかし、「米山淳」を韓国語読みすると、「ミィサン・スン」となるらしい。韓国人に自分の漢字の名前を見せた時、こう言われた。「ジュン」を「ジョン」とか、「ジム」などと発音されたのなら何となく検討がつくが、「ミィサン・スン」という発音では、からきし検討がつかない。また、中国語読みでは、「ミィサン・チュワン」となるようだ。昔、台湾に旅行に行った時、台湾の銀行で両替を頼み、窓口の人から「▲▽▼◎●」と呼ばれ、目を丸くした経験がある。その後中国語を多少勉強して、あの時銀行の窓口の人は私のことを「ミィサン・チュワン」と呼んだのだとその時のことを思い出した。また、UCLAに来てからも中国人には中国語で「我是日本人。我叫米山淳。」と自己紹介をし、自分の名前を中国語で発音していたら、中国人の友人の中には私の名前を「ヨネヤマ・ジュン」とは覚えないで、「ミィサン・チュワン」と中国語で呼ぶ友人もいたので少し閉口した。UCLAのキャンパスを歩いていて、遠くから「ミンサン・チュワン」とどんなに大声で叫ばれても、それが自分のこととはなかなか気が付かない。

 もちろん、世界に存在する言葉はこれだけではない。何年か前、ヨーロッパへ一人旅をした。ヨーロッパでは英語が共通語として使えるが、大学でドイツ語を取ったので、ドイツでは自分のドイツ語を試したいと思っていた。そして、その時がやってきた。ドイツに行った時、ホテルのフロントでドイツ語でやり取りをし、用紙に名前と住所などを書くように言われた。その用紙に名前を書き終えたその時である。フロントの女性が顔をしかめて、「あなたの名前は“ユン”さんですか。」と。確かに、“Jun”はドイツ語では「ユン」と発音する。その時また、自分の名前が増えたと思った。傑作だったのはスペインに行った時である。またもやフロントで、私の名前を見た受け付けの人に「あなたは“フン”さんですか」と言われた。スペイン語では“Jun”は「フン」となる。それ以来メキシコには行く勇気がなくなった。

 日本にいた時には自分の名前は「よねやまじゅん」で通してきた。当り前のことである。自分の名前は一つであり、それが普通である。しかし、外国に出た途端、行くさきざきの国で自分の名前が変わってしまうことを知らされた。ところ変われば品変わると昔の人はよく言ったものだが、名前まで変わってしまうことにはそれまで気が付かなかった。上記以外の世界に存在する言語の発音で自分の名前を読んだら、もっと面白く、奇妙な読み方をするものもあるのかもしれない。中には、「淳」を「ピン」、「ポン」、「パン」などと読むものがあるかもしれない。もちろん名前の読み方が変わってしまうだけで、名前そのものが変わってしまうわけではない。名前を変えたりすると少しは新鮮な気持ちにもなるが、生まれた時から慣れ親しんだものゆえ、自分の名前にはそれなりの愛着がある。皆さんも自分の名前が様々な言語で何と発音されるのか調べて見るのもいいかもしれない。少なくとも酒の席の話題ぐらいにはなると思う。